2016/10/08

読書ログ『影法師』百田尚樹

久しぶりにググっと惹き込まれる歴史小説に出会いました。
(そもそも最近小説を読んでいなかったからというのもあるけれど。)

『影法師』百田尚樹




作者は『永遠の0』で作家デビューした百田尚樹さん。
そういえば父親が「百田の作品は良い」と言っていた気がするけど、なるほど確かに。

この本は取引先の方に貸していただいて、なんとなく読み始めたのだけど、、良いです。
「涙が止まらない、二人の絆、そして友情。」という帯の文句を、最後の最後にガガガッと回収してきました。
中間と最後は泣けます。病院の待ち合いで、ひとりすすり泣いていました。


この話の舞台は江戸時代の真っ盛り、茅島藩という架空の藩で繰り広げられます。
武士の中でも低い身分(下士)で生まれ育った名倉彰蔵が、やがては藩の筆頭国家老に抜擢され、茅島藩を財政難から救出していく ―― という、いかにもなヒーロー話が中心にありますが、本質はもっと別のところにあると思います。
友情や絆と帯には書かれているけど、私にとっては「覚悟」なのかなあ、と。


名倉彰蔵(勘一)たちの数奇な運命の背景となっている、江戸時代の、特に侍たちの価値観やルールも非常に興味深いんです。

長男以外は当然家督を継げないが、婿にもらわれ別の家の当主となれなければ「部屋住みの厄介叔父」として一生嫁ももらえず日陰暮らしとなる。婿入りの声をかけてもらうため、つまり婚活のために必死に勉学に励む。とか。
抜刀するということは、必ずどちらかが死ぬということ。とか。
当時は特権階級と言われた武士も、けっこうかなりシビアだったんだなぁと知るばかりです。

気になった方はぜひ読んでみてください。
サクサク読めます。おすすめ。

読了日:2016年10月8日



以下、読んだ人向け。ネタバレ含みます↓↓





最後まで読み終わると、彦四郎は何を思って「影法師」としての生き方を心に決めたのかと考えてしまいます。
勘一との友情なのか、彼が描いた干潟開拓の夢を実現させるためなのか、みねを守るためなのか。

袋とじの、みねと彦四郎とのやりとりを読み終わると、みねを守るためという動機も少なからずあったのではないかと思わされますね。


勘一とみねは、彦四郎が心底敬愛した2人だった。その2人を守りたい。そんな想いが大きかったかと思いますが、彦四郎なりに生き方、使命のようなものを考えた結果、「影法師」に行き着いたのではないでしょうか。

家柄も悪くなく、文武両道で何をやらせても優秀な彦四郎は、しかし夢や志と呼べるものがなかった。
一方、刎頚の友である勘一には、藩の人々のために、一生をかけても果たしたい夢があった。
勘一にはその夢を果たすのに十分な頭と度胸がある。――唯一足りないものは、身分だった。
自分よりも、勘一が政に関わるべきだ。影で勘一を支えることが自分の使命なのだ、と。


おそらく彦四郎に「影法師」としての覚悟を促すきっかけのひとつは、万作による百姓一揆だと思います。
村のために一揆を企てた万作、そして万作たちを止めずに城下へ通し、責任を取って切腹した成田庫之介の2人は、勘一と彦四郎のそれからの生き方に近しいものがありました。

万作は、年貢米軽減の念願を成就させた。しかしそれは、身分不相応な越訴による、自らの命と引き換えにせざるを得ませんでした。
成田はその覚悟を認めて越訴を黙認し、その責を取って自ら切腹します。

成田のように、たとえ自らが犠牲になろうとも勘一の悲願を叶える手助けをしたい。しかし、大切な勘一は万作のように死なせたくない。
万作の処刑直後、勘一が夢を打ち明けたときに、彦四郎はそう密かに決心をしたのではないでしょうか。


本作を読んでいると、いたるところで「覚悟」を感じます。
そしてその覚悟は、どれも誰かを守るため。

藩の百姓の生活を守るためだったり、竹馬の友だったり、心を寄せた女だったり、家族だったり。
守る対象は様々ですが、覚悟というものは、誰かを守りたいと思うとき、誰かのために何かを成したいと心から思うとき、本当の意味でできるのかもしれないですね。
なんて、つらつら考えながら読み切りました。
うん、おもしろかった!

それではでは〜

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